特定の価値観を否定するのはよくないこと?

 

Q&A企画第4弾。

今回は少し哲学的なご質問でした。

 

特定の価値観を否定する人がいる。
「〜がないと幸せでない」や、具体的には「男女間でしか恋愛はありえない」などである。
一方、多様な価値観を認めるべきだという考えがある。「人の幸せや恋愛観はそれぞれである。他人がどうこう申し立てるものではない」などである。この考えにより、特定の価値観を否定する人を諌めることができる。

しかし、この考えは「ある考えを認めない価値観を否定する」という点で、『多様な価値観を認めない考え方』であり、自己矛盾している。
しかし、自己矛盾を避け、「どのような価値観をも否定しない」考え方を採用すると、特定の価値観を否定する人を諌めることができなくなる。

特定の価値観を否定する人を諌めるためにはどのような考えを採用するべきだろうか? (あるいは、特定の価値観を否定する人を諌めるべきではないのだろうか)

 

 

では、僕の考えを述べさせていただきます。

まず結論から言うと

 

特定の価値観を否定する人を諌める必要は無いと思っています。

 

 

理由は、多様性を受容するのは「自分」であって他人に強制すべきものではないと思っているから。

 

僕も、「考えの多様性を受容する」という考えが好きです。しかし僕はそれを他人に強制しようとは思ってないです。

 

「お金が無いと幸せじゃない」っていう人も、「自由が無いと幸せじゃない」っていう人も、いろんな人がいるんだなー。と思って見ています。

 

ひたすらに僕が考えの多様性を認めて、「まあ、僕はこう思うけどね」と思っています。

 

その想いの根底には、「多様性を受容できる社会」とは、

いろんな人が、自分の「べき論」を主張している。その中で自分の気に入ったものを取り入れることができる社会。

 

そういうふうにとらえています。

 

例えば僕は本が好きなんですが、本屋にはいろんな本があります。

 

「死ぬほど本を読め」「本なんか読む暇あれば人と話せ」

矛盾のオンパレードです。それを読み比べて、読者が「私はこの考えが好きだな」って選べるのが、多様性を受容できる社会だと思います。

 

「本は好きに読んだらいいし、いっぱい読んでも、少しだけ読んでも、自由に読んだらいいよ」っていう本があっても、「うん、、、そうですね」ってなるだけですしね。僕は極論が好きです。

 

 

結論、僕は多様性を大切にしようと思いますが、他人にそれを強制しようとは思いません。イメージ的には、各々が極論を主張してるけど、「あなたの考えもいいね!」って、みんなを認め合って仲良くしてる。そんな社会がいいなー。って思います。

 

だから特定の価値観を否定する人を諌める必要は無いと思っています。

 

 

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