ゆとり世代なめんじゃねーぞ!! ゆとり教育、超賛成論

 

完成

 

 

うるせーよ!!!
人を失敗作みたいに!!!!!!

 

 

僕の結論だけ先に言います

 

 

 

ゆとり教育の目的に大賛成で、

ゆとり教育の手段に大反対です

 

 

 

僕は、ゆとり教育に目的から反対する人が

嫌いじゃないです

 

こんなもの、賛否両論あって当たり前ですし

むしろそんな人と話したら考えることもたくさんあって

とっても楽しいです

 

 

ただ、僕がどうしても許せないのは

 

 

ゆとり教育の

目的と、手段を

ごっちゃにしている人

 

その上で、メディアを鵜呑みにして

ゆとり教育は失敗だ

とか、なんの根拠もなく言っている人

 

 

 

いやー。

恥ずかしいですね。

 

 

 

 

 

はい。

 

半年ぐらい前の僕のことです。

 

 

 

 

「根拠も知識も無い教育論」ほど

「無意味で力の無い理想論」はありません

 

 

 

 

ということで、

勉強しました!!!!

 

 

 

主に勉強したのは、

寺脇研さんが話す、ゆとり教育について

 

 

寺脇さんは、「Mr.文科省」とも呼ばれ

 

ゆとり教育を進めた人として有名な方です

 

格差時代を生きぬく教育

 

 

まずは、僕が大賛成する

ゆとり教育の目的について

 

 

そもそも

 

ゆとり教育の目的とは!?

 

 

寺脇さんによると、

 

 

 

「自分の頭で考え、付加価値を創造する力」

 

を育むこと

 

 

なぜそれが大切かは、このように述べている

 

 

1970年代までの経済成長期には、製造業を中心とした企業が、均一な質の労働者を必要とした。命じられたままに仕事をこなす労働者を育成するには、詰め込み式で「読み、書き、計算」がきちんとできる人材教育でよかった。

 

 しかし、今は違う。第三次産業で必要なのは、「自分の頭で考え、付加価値を創造する力」を持った人材だ。そうした人材は、詰め込み式の教育では育たない。

 

 

 

 

時代が変わったから、教育も変える必要があるという。

 

これがゆとり教育の正体なんです

 

 

 

 

よく、ゆとりの対極として語られる

 

「詰め込み教育」ですが、

 

僕は、戦後の詰め込み教育には大賛成しています

 

 

ものを作れば、どんどん売れた高度経済成長時代

 

決められたマニュアルに沿って

命じられた仕事をこなせる人が必要でした

 

だからマニュアル人間が求められていたからです

 

 

でも、ものを作れば売れる時代は終わりました

 

 

 

これからは、

 

詰め込みこそが、自分を幸せにしてくれると信じていると

恐ろしいことになります

 

 

 

これは極論かもしれませんが

 

 

テストでいい点数を取れ!

偏差値の高い大学に入れ!

そうしたら良い仕事に就いて、幸せになれる!!

 

 

そう言われ続けて

自分で思考をすることなく

 

 

受験に必要な知識を片っ端から詰め込み、

 

 

言われたことだけをこなせればいいんだと信じて

忠実にがんばり続けた結果

 

 

 

 

自分を幸せにしてくれるはずだった…

 

そんな自分の仕事は、、、

 

 

 

 

ロボットや、外国人労働者に取られていた

 

 

 

 

 

気づいた時に、

自分に残っていたものは

 

Googleを使えば、すぐに調べられる

人並みの知識だけ

 

 

死ぬほどの努力で合格した大学まで卒業した自分に

 

 

残された仕事は

 

中学生でもできるようなバイトだけ

 

 

 

いったい、なんのための勉強だったんだ…

 

 

 

 

なんて想像するだけでゾッとする

 

 

 

 

 

 

こう言われてみると、

 

目的に反論がある人は少ないのではないだろうか?

 

 

 

 

(逆に、これからはマニュアル人間が必要だ!!

 という意見をお持ちの方は、とても興味深いので

 ぜひ聞かせていただきたいです)

 

 

 

 

そもそも

ゆとり教育の反論。

 

そのほとんどは、

 

学力低下です

 

 

 

 

しかし!!!!

 

この反論に対する反論はシンプル

 

 

だからどうしたんですか?

 

 

そんなもの下がるに決まってるでしょ?

 

 

 

 

そもそも、ゆとり教育にかんしては、

 

 

自分の頭で考える力をつけるのに

必要な時間を確保するために

 

今までの時間を削りましょう

 

っていう方針で始めたのだから。

 

 

 

しかも、「学力低下」

と一言に言っても

 

計り方は

 

従来の「教科書の内容が理解できたか」

 

を計るものです

 

 

 

そっちよりも、「自分の頭で考える力」の方が

大切って思ったから

 

ゆとり始めたんでしょ!?

 

 

せっかく変えたのに、どうして以前の土俵で評価するの?

 

ゆとり教育を否定したいのなら

 

「自分の頭で思考する力や、付加価値を付ける力が減少した」

 

みたいなデータじゃないと

 

 

*このデータは測定しにくいため、ゆとり教育の影響を表す有力な統計データ

 は現在まだ無いとされています

 

 

 

自分の頭で考えることは大切だ!

 

と、言いながら

 

ゆとり教育のせいで

学力が落ちたから

今までの方法に戻しましょう!!

という、しょうもないメディアを見て

賛成している人が

 

 

いかに矛盾していることか

 

いかに恥ずかしいことか

 

 

半年前の自分に教えてやりたいですww

 

 

 

というわけで、

結論の半分

 

ゆとり教育の目的には大賛成

 

 

の根拠はおしまいです

 

 

さあ、どうでしょうか??

 

あなたは、ゆとり教育の目的には

 

賛成ですか?反対ですか?

 

 

 

 

 

さて、問題はここからです

 

「目的」なんてものは、

理想論みたいなところもあります

 

 

ゆとり教育は、

理想である「目的」は素敵ですが

現実である「手段」がめちゃくちゃすぎます

 

 

総合的学習の時間とか

突っ込みどころ多すぎでしょ!!!!

 

というわけで、

僕がゆとり教育に賛成なのは

今はまだ、目的だけです

 

 

この続きは明日のブログで!!

 

 

 

 

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One thought on “ゆとり世代なめんじゃねーぞ!! ゆとり教育、超賛成論

  1. 学生

    はじめまして。執筆たいへんお疲れ様でした。
    通りすがりながら、拝見させていただきました。
    コメントに差支えがあればどうぞ消去してください。

    後半のロジックにはあまり触れませんが、本ブログを書いた意図として学術的な程度を求めたのであれば、
    >>「根拠も知識も無い教育論」ほど
    >>「無意味で力の無い理想論」はありません
    と強調されていたのですが、どれだけの専門書をお読みになりましたか。将来は学校教員を目指すのであれば、どれだけの学術記事および先行研究・事例に触れられましたか。

    一見したところ、これは社説でしかないと思います。(社説のつもりで書いたならわかりますが、最初に強調していたあの文章からして、あなたが述べたいのは教育論でしょう。)

    ちなみにマスコミが騒いでいたのは「(学力の観点から)ゆとりは失敗。」という含みをもっていただのではいでしょうか。なので、反論というよりも事実の表示をしただけかと、つまりそれに反論すること自体あまり意味がないことかも知れません。お互いに土台が違うので。

    >>*このデータは測定しにくいため、ゆとり教育の影響を表す有力な統計データ

     は現在まだ無いとされています

    これは本当にそうでしょうか。

    ブログを書くのは表現の自由であるし・・・など云々ありますが、ご自身がおっしゃっていることと「自分がブログを書いている姿/言動」どこか矛盾はあらわれてませんか?それはご自身にしかわからないでしょうが、少し落ち着いて見つめてみてください。
    世界一周中で感覚的にも興奮状態が続いていると、なにか自分が不思議なパワーを持った感覚に陥り、書いていることも飛躍したりどこか、大切なマナーも無意識に欠落している場合があると思います。あなたがそうだとはいいません。
    しかし、心の隅で、昔の自分、軸となる自分を思い出してください。
    そうでないと、もったいないですよ、ブログ活動も旅も、せっかく自身を耕すすばらしい活動なのに。

    また、教師を目指すのであれば、そういった経験も宝ですが、まずは学問があってこそです、少なくとも日本社会では資格がないと教育の現場には立てません、そのためには一定レベルの素養と共通認識にもとづいたある知識を蓄える必要があります。
    その上で自分が作り出した時間と余裕をもって何に使うかは自由ですし、旅をすることもとてもい有意義だと思います。そうした教授者から、生徒も学ぶことが多いでしょう。それらをキックして旅だの活動だのしてほしくありません、私の意見ですが、そんな人に教団にたっていただきたくないですよ。学業もちゃんと修めるところを修めていまの行動をできていますか?

    その一言、一動が他人の人生へ常に影響するのは、誰いつ何時も同じですが、教育という、教室管理されたもとではそれがなおさらです。
    改めて、表現することは表の世界に、社会に何かしら形を残すので影響しているということを忘れないでください。
    それでは、大変長くなりましたが、失礼します。
    がんばってください。

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