大学生の教育論に価値は無い!?そんなわけあるか!!

 

 

 

大学生である自分の、教育論には本当に価値があるのだろうか?

 

自分自身そんなことをよく考える。

 

 

 

教育好きの大学生は多い。

 

 

しかし、大学生にとって

教育の現場や、リアルは分かりにくい。

 

また、経済や政治などの

「大人の事情」も難しい。

 

だからこそ、

大学生の意見は理想論になりやすく、

地に足が着いていないと言われやすい。

 

 

僕のように。笑

 

 

教師として、経験を積んでから

情報を発信するべきじゃないだろうか…

 

 

そんな葛藤がよくある。

 

 

しかし、最近

大学生だからこその強みに気づいた。

 

今なら断言できる

 

 

大学生の教育論には価値がある!!

 

その理由は3つ。

 

 

「違い」こそが変化を生むから。

理想論には高い価値があるから。

大学生は最も教育対象に近い存在だから。

 

 

 

 

1.「違い」こそが変化を生むから。

 

 

いかに現場の経験が豊富であれど、

似た経験、似た考えの人が意見を交換しても進化は少ない。

 

 

ディベートがいい例だ。

 

同じ意見同士の人で「いかに正しいか」を議論しても、考えは深まらない。

 

対立する相手がいるからこそ、

多角的に考えられるし、考えも深まるのだ。

 

 

 

筋の通った意見なのであれば、

現場経験が無かろうが、大学生ならではの視点に価値はある。

 

「違い」がある。というのは、それだけで価値があるのだ。

 

これが後の2つの理由の根幹にもなる。

 

 

では、大学生はどのような「違い」を持っているのか??

 

 

 

 

2.理想論には高い価値があるから。

 

 

 

大学生の教育論の特徴として

理想論が多い。というものがある。

 

一生懸命、現実的に考えるが

それでも理想論と言われる。

 

 

でもこれは悲観することではない。

むしろ、一つの強みだ。

 

なぜなら、理想と現実の間にこそ納得解があるからだ。

 

 

僕は、大学一回のころから教育の勉強を始め

2回生から、塾講をして

3回生から、「世界中の学校で先生になる旅」に出た。

 

 

1年ごとに、

理想と、現実を行き来している。

 

そこで感じたのは、

目の前のことに忙しくなると、

視野が狭まってしまうということだ。

 

「初心を忘れない」とは良く言ったもので

 

生徒のテスト前、忙しい時期なんかになると

 

ついつい目先の点数に一杯になって、

初心を忘れてしまいそうになる時がある。

 

「あの時考えていた理想は、どこにいってしまったのだろう…」

という時がある。

 

 

そんな時に、1回生のころに自分が書いた

理想100%の文章を読むと、非常に元気をもらう。

 

論理的にも経済的にも、

突っ込みどころは満載。

 

でも、「自分はこんな先生になりたかったんだ。」

って思い出せる。

 

 

いろんな経験を繰り返しながら、

理想と現実を行ったり来たりするうちに

 

最適な納得解になるんだと思う。

 

 

理想と現実。相反する両サイドから物事を見ると

新しい景色が見える。

 

 

だからこそ、

一生懸命考えたことが、例え理想論と言われても、

そこに価値を感じてくれる人はいると信じている。

 

 

 

 

3.大学生は最も教育対象に近い存在だから。

 

 

 

 

大学生は子どもに最も近い年代だ。

 

つまり育ってきた時代がとても近い。

 

 

すると、何に興味を持っていて

何に不安を感じているか?

 

なども似てくるわけだ。

 

 

 

これは時に、教育を考える上でもアドバンテージになる。

 

 

例えば、

 

ipadやスマホなどを使ったICT教育は現在注目されている。

 

 

教育を動かしている文部科学省の人に

ipadやスマホで遊びながら幼少期を過ごした人はいない。

 

 

逆に僕らは実際に電子機器に囲まれて幼少期を過ごしたからこそ、

その楽しさも知っていれば、

逆に、没頭してしまう恐ろしさも実感している。

 

 

そんな実体験のある僕らだからこそ

プロの教育者たちと、違った視点からの意見を作れる。

 

 

総合的にどちらの論が優れているか

という話ではない。

 

 

必ず、双方の考えが参考になる。

 

そこには、違いがあるからだ。

 

 

 

 

以上3つの理由。

 

 

価値のある文章とは、

感情を動かせる文章だ。

 

 

いかに現場の経験があろうと、

何の思考も生まないような文章には負けたくない。

 

 

現場の経験が少なかろうと、

 

反対であれ、賛成であれ、

読んだ人の感情を動かせる

 

そんな文章を書き続けたい。

 

 

 

 

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2 thoughts on “大学生の教育論に価値は無い!?そんなわけあるか!!

  1. 垣本京水

    ひらしん、いつも頑張ってるね!
    楽しみに読ませてもらってます。

    地域教育に関心がある私としては、教員にならなくても、親にならなくても、大学生も地域の大人には必ずなるわけで(むしろすでにそうか)、教育がどうあるべきかっていう意識をより多くの人が持つのは、民主主義社会ですごく重要だなって思ってます。
    簡単に答えが出る問題じゃないけど身近な問題なのが教育だから、「考え始めること」にすごく価値があるよね。

    1. hirashin Post author

      ありがとうございます!!

      民主主義社会だからこそ、特に大切という視点がおもしろいですね!!
      僕のブログが考え始める一歩のなれるようがんばります(^^)

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